中庸っていうのね。これは、お釈迦さまの言った一番大事な教えなんだけれども、それは、あっちにもいかずこっちにもいかず真ん中を歩くということじゃなくって、あっちとこっち、その両方を行かないと真ん中にならないよ、という教えなの。中庸っていうと、真ん中を静かに歩くみたいな、そういう動きのないものになっているけど、いくら安定を求めたって人は誰だって揺れてるんだよ。”
- via 細野晴臣のぶんぶく茶釜 : 第2講 「ぶれない。」 (via tily) (via browneyes) (via markie) (via pinto) (via nemoi) (via scalable) (via gkojax) (via ipodstyle, shanti)
2010-03-26 (via gkojay) (via kml) (via monoprixgourmet) (via colaup) (via gkojax) (via petapeta)
お金を稼がなければ生きていけないという当たり前のことに、大変憎悪を感じます。そのうえ、無能ゆえ自分にできる限界ギリギリで働いても、糊口をしのぐ程度にしか稼げないという現実がウソみたい。バカみたいな話ですが、わたしはいまだに、そしてたぶん死ぬまで「好きなことだけをしていたいのに、それだと生きていけなくて、会社員として働かなければ暮らせない」という現実に腹を立てている。でも、こういういつまでも労働への信じがたさを抱えているという幼児性が、自分の生い立ちに培われたものであるし性根なのだと痛感もしています。
thanks, theduty.
学ぶ力には三つの条件があります。 第一は自分自身に対する不全感。自分が非力で、無知で、まだまだ多くのものが欠けている。だから、この欠如を埋めなくてはならないという飢餓感を持つこと。 第二は、その欠如を埋めてくれる「メンター(先達)」を探し当てられる能力。メンターは身近な人でもいいし、外国人でも、故人でも、本や映画の中の人でもいい。生涯にわたる師でなく、ただある場所から別の場所に案内してくれるだけの「渡し守」のような人でもいい。自分を一歩先に連れて行ってくれる人はすべてたいせつなメンターです。 第三が、オープンマインド。人をして「教える気にさせる」力です。素直さと言ってもいいし、もっと平たく「愛嬌」と言ってもいい。 この三つの条件をまとめると、「学びたいことがあります。教えて下さい。お願いします」という文になります。 これが「学びのマジックワード」です。
(出典: michaelwcarter)